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東京高等裁判所 昭和47年(う)1391号 判決 1972年9月25日

被告人 北野忠雄こと吉岡洋

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六十日を原判決の言渡した懲役六月の刑に同三十日を原判決の懲役三月の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人河合一郎および被告人本人作成名義の各控訴趣意書ならびに弁護人河合一郎作成名義の補充控訴趣意書及び弁論要旨に記載されたとおりであるから、これをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

弁護人の控訴趣意書第一点、補充控訴趣意書及び弁論要旨第一点について。

所論は、原判決が判示第一ないし第三の各事実と同第四の事実とを認定したうえ、被告人は昭和四十五年十二月二日東京地方裁判所において業務上過失傷害の罪により禁錮八月四年間執行猶予の判決を宣告され右判決は前同月十七日確定したとしてその罪と判示第一ないし第三の罪との間に刑法第四十五条後段の併合罪の関係を認め同法第五十条により判示第一ないし第三の罪について更に懲役六月を言い渡し、別に判示第四の事実についても懲役三月を言い渡しているが、前記確定裁判は被告人に対するものではなく、北野忠雄に対する確定裁判であるから、これを被告人に対する確定判決と誤認した原判決は法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。

そこで所論の当否につき案ずるに、およそ、被告人を定める基準としては、起訴状の記載、表示を客観的に考察する表示説、検察官が実質的に被告人としようとしたものが誰であるかを基準とする意思説、被告人らしく振舞つたものを被告人とするという挙動説の三があることは所論のとおりであるが、被告人が誰であるかを定めるに当つては訴訟の手続発展との関係で右の三つの基準に沈潜し且つこれを駆使して合理的にこれを定めるのが相当である。

これを本件についてみるに、記録を調査し、当審における事実取調の結果に徴すると、本件被告人吉岡洋は昭和四十四年十月三十日、業務上過失傷害の罪を犯したため昭和四十五年三月二十五日警視庁東調布警察署司法警察員早川勉、次いで同年七月七日東京地方検察庁検事細川俊彦の各取調を受け、いずれも北野忠雄という実在の人の名(原判示第一の被害者)を冒用し、本籍徳島県勝浦郡勝浦町大字沼江字一楽九十三番地、住居神奈川県川崎市今井南町五百二十九番地北東建設宿舎、職業会社員、北野忠雄、昭和六年二月十二日生として昭和四十五年七月二十五日、東京地方裁判所へ起訴され、その起訴状謄本も本件被告人吉岡洋自らが送達を受け、東京地方裁判所において、二回公判期日に出頭し、同四十五年十二月二日、前記のような判決を言い渡され、右は同年十二月十七日確定したものであることが明らかである。

この経過に徴すると右事件について被疑者として捜査官の取調を受け、検察官から公訴を提起され、公判において被告人として振舞つたのは本件被告人吉岡洋じしんであり、氏名を冒用された北野忠雄じしんは右事件の裁判手続そのものに、何の関り合いももつたものではない。しからば右事件の被告人は本件被告人吉岡洋であり北野忠雄じしんではないというべきである。

従つて、北野忠雄本人に起訴状の謄本が送達されていないから、公訴提起の日から二箇月の経過により右事件の公訴提起はさかのぼつてその効力を失つているという所論はその前提を欠くこととなり到底採ることはできない。また右確定判決が被告人の表示として北野忠雄こと吉岡洋と表示されていないから、これは北野忠雄本人に対する確定判決であるという所論も右同様これを採ることはできず、所論のような表示がなされていないということは、何ら右事件の被告人が吉岡洋であると認定することの妨げとなるものではない。

更に所論中には右確定判決を被告人吉岡洋に対するものであると認める証拠として吉岡洋の供述を採用することは採証法則に反するというかにみえる部分があるが、所論のような採証法則があるとはいえず、本件被告人吉岡洋が自ら右確定判決の事件において北野忠雄と詐称したことを認めた供述を右認定の証拠とすることはもとより少しも差支えなく、これを違法不当と非難する所論は理由がない。

また、もし、右確定判決が吉岡洋に対するものであるならば、法令の適用上、刑の執行猶予の判決はできなかつた筈であると所論はいうけれども、そのような内容の判決がなされたのは、吉岡洋自身が自らは北野忠雄であると供述したことにより生じた結果であり、だからといつてこのことから逆に右の確定判決は吉岡洋に対するものではないと論断することはできない。更に所論中には原判示第二の事実は、右確定判決の事実と一所為数法の関係にあるから、もし右確定判決が吉岡洋に対するものであるなら、前記原判決第二の事実は確定裁判を経たものとして免訴の裁判をすべきであつたという趣旨の主張をするやに見える個所があるけれども、原判示第二の無免許運転の事実と確定裁判の内容たる業務上過失傷害の事実とは刑法第四十五条前段の併合罪の関係にあると考えられるので、本件は右確定裁判の効力により免訴の裁判をすべき場合にはあたらない。

以上の理由により原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がなく採るを得ない。

弁護人の控訴趣意書第二点、補充控訴趣意書及び弁論要旨第二点、被告人本人の控訴趣意について。

所論はいずれも量刑不当の主張で、原判決が被告人を懲役六月および同三月の実刑に処したのは犯情に照らし量刑重きに失して不当であるというに帰する。

しかし記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて原判決の量刑の当否について検討するに、本件の事実関係は原判決の認定判示するとおりであり、被告人が確定判決を間にはさんで、自動車運転免許証の窃盗一回、無免許運転二回と業務上過失傷害とを犯し、更に警察官、検察官の取調を受けた際北野忠雄という偽名をもつてする署名偽造二回を犯したという事案である。このような本件各犯罪の性質、態様ならびに被告人はこれまで昭和三十七年三月から同四十一年九月まで前后八回道路交通法違反の罪で罰金刑(軽きも千五百円重きは一万五千円)に、処せられたほか(一)昭和三十九年六月三十日福山簡易裁判所で横領罪により懲役五月二年間執行猶予(二)同四十一年一月五日岡山地方裁判所笠岡支部で窃盗、詐欺、業務上横領罪により懲役一年五年間執行猶予(保護観察付)に、(三)同四十二年一月六日広島地方裁判所福山支部で窃盗、私文書偽造、同行使、詐欺罪により懲役八月に処せられ、右(二)刑の執行猶予は取消され、(三)の刑に引続き(二)刑の執行を受け同四十三年九月十一日その執行を終えたものであること、なお前記の確定判決を受けていること、被告人の現在の生活関係は不安定であることなどを考慮すると被告人の責任は軽視することができず、被告人が北野忠雄の名前で北東建設に就職し稼働中であつたため本名をいい難くなつたということ、所論指摘のような被告人の家庭の事情、健康状態などを被告人のため十分斟酌してみても、原判決が検察官の懲役八月および同四月の求刑に対して被告人を懲役六月および同三月の実刑に処したのはやむを得ないところであり、量刑が重きに失して不当であるとはいえない。論旨は理由がなく採用できない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中六十日と同三十日を刑法第二十一条によりそれぞれ原審の言い渡した懲役六月と同三月の各本刑に算入することとする。

よつて主文のとおり判決する。

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